昭和五十年十二月十七日 御神訓


 「一、神の教えも真実の道も知らぬ人の哀れさ。」


 信心を頂いておりましても真実の道を知ろうともせず、真実の道も頂きたいと願いは持ちながら、その頂けれる道を分かろうともしない人の哀れさと云うことも言えると思うですね。
 昨日私はそれと同じ様なことを昨日御大祭の後に、秋永先生と二人で話したことでした。  
 どこどこの誰々さんお参りしとったのに、私が御説教の時に居なかったがと云ったが、あああっちはもう一緒に吉備舞だけ見てから帰りよんなさいましたと云うから、まあ本当に哀れなことですねと、云うた事でした。
 折角御大祭を頂きながらです、誰が帰るから自分もと云う風に帰って仕舞った。特にその人達に私は目を付けとった訳では無いけれども、あちらの方の椅子の方に掛けられとりましたから、はああっちは参ってあるなと思うておりましたからね。
 勿論ここの教会の方じゃありませんけど、大切おかげを頂きたいと云う心は切な筈です。それにはやはり、真実の道を知らなきゃいけません。教え、真実の教えを受けなけりゃいけません。
 本当におかげに繋がる話を受けなけりゃいけません。それに居られませんでしたから本当に哀れなことですねと、兎に角救われ難い人はもう仕方がないねと云ったことでした。
 救われたいと云い乍ら、救われ難い人が、なら信心を頂いとってもあると云うことですから、私は神様の目からご覧になれば、折角有難いおかげの頂けれる真実の道に入らせて頂きながら、真実の道を踏まず、真実の話を頂く行じようともしないと云うのは、これは全然知らない人よりも哀れに感ずる場合がございます。神様からご覧になれば尚更そうじゃなかろうかと私は思うですがね。中でも昨日斎員におかげを頂いて居られました田主丸の佐藤先生です。は、初めから私の話をお広前に出てお聞きになっとられました。昨日はどういう事だったでしょうか。佐藤先生と秋永先生と色々話よったら、それに宮ノ陣の先生も加われまして、丁度他の御用を頂いた方達の御直会が始まります丁度前まで居られたと云うことです。
 しかも信心の事を一生懸命話されるものですから、私も又それを受けてお付き合いをしておりましたと云う話を聞きました。それが、ならどういう事かと思うと、今日のお説教を頂いておかげを頂きましたと、本当に成程困ったということには大祓を十巻も十五巻も二十巻も上げて神様にお縋りした覚えはあるけれども、今日こちらの先生がお話なさった大祓信行と云うこと。もう無条件で只一生懸命で大祓信行を上げると云うことは初めて聞いた。私はおかげを頂いたと云うて、大体あちらはお酒を召しよりませんから、何時でもすぐ帰られるんです。ところがその様に昨日お説教を頂いて帰られたから、もう実際立ち上がれなかった。まあ合楽にいっときでも居りたかったと云う話を感じなさったのじゃなかろうかと思いました。これも秋永先生から聞かせて頂いたと云うことです。ね、自分も助かりたい。
 それも何かあちらの田主丸教会の青年、若い層の方達があちらの御普請のと云うわけではないですが、正面玄関だけでも改築したいと云う話が出ておって、それに総代級の古い信者さん達が、そりゃまだ時期が早いとか何とか云うて反対するそうです。だからお流れになった。だから秋永先生あんたどう思うのと云うことだったそうです。それから色々信心話になったから、応接間でそしたら宮ノ陣まで見えて一緒にまあ話をしたり、秋永先生の話を聞いたりなさるのです。出たらしいですその中に今日のお説教を頂いておかげを受けたと云う話を聞かせて頂いて本当に今日はおかげを頂いた。それですよね。折角云うならばこの辺ではですよね、まあ隆々たると云う程しに、そうですよね、お米だけでもやっぱり今半俵ですから百俵からお供えがあっとったです。実際は八十俵位しかしてませんでしたからね。それだけ考えただけでもです、今の合楽の神様が生き生きとしてまあ神様の方が奮い立ってござると云うものを感ずる訳です。
 だからそういうおかげは誰でも或意味で羨望にも似たような、云うなら眼差しで見て居る人達もあるわけです。そんならそういうおかげが何処から生まれて来るかと、何処にそのおかげの元があるのかと云う事を私は思わんだろうかと思いました。しかもいよいよそういうお話が頂ける段になってごろごろ帰るなんて、まあ救われ難い人、まあそれこそ真実の道も神の教えも真実の道も知らぬ人の哀れさと仰せられるが、それをまた聞かぬ人の哀れさと云う事も云えるじゃないでしょうか。
 私は昨夜何時も十二時頃お礼に出て来るんです。ところがまだ十時位だったでしょうか、御祈念を終って家内が部屋に帰って参りましたから聡子がえらいぐずり出しよりますもん、何ばぐずりよるのかと私は寝ながら自分も大祓をこの頃つけて上げるらしいのですよ。だからその昨日は大祓が遅かったので済んどったらしいですよ。だからその大祓信行しとらじゃったと云うてぐずりよるとですよ。
そんならま一遍行こうと云うて連れて行きよりました。そしたら間もなく帰ってきました。そのお広前に行っただけで大祓上げちゃっとと云うて泣きだしましたもん。それならおじいちゃん一緒に大祓信行に行こうと云うてこうして紋付袴を付けて出ました。そしたらおじいちゃんとは嫌と云いますもん。(笑い)それから、ならじいちゃん一人行くよと云うて、まあいつもより二時間も早かったですけど出て来てから驚きました。御祈念をさして、いや私は先ず一遍どおりこう教会全部御祈念をする前に回るんです。ところが昨日の御大祭にお説教を誰かが頂いて居られるようです。その昨日はマイクが良かったせいですかね、実にはっきり入っているのですよ。それで恐らく止まっている人達が研修室で聞いて居るもんと思うて居りましたら、一遍通り回って私もここの新館のまわりを回って腰を掛けてその話をまた頂きよりました。仲々外は寒いですから、中に入って邪魔になっちゃいかんと思うて、こうやって開けて見ましたら誰も居りませんもん。一人で一生懸命お説教がありよる訳です。 あらどうしてじゃろうか、誰も聞きよらんとに一人で一生懸命何処から流れて来よるのです。そしたらその録音室で録音をして時間が掛かりますから、末永先生二階に上がって昨日のあれは一時間余りございましたからね。その間まあひとりでにお話があっとった訳です。それから私はその研修室に座り込んでまた改めて昨日の話を頂きました。頂いて私も大変感動しました。おかげ頂きました。
 私は教えと云うものはもう一遍頂いたけん良か、自分でお話しとりますことにまた感動するのです。自分でお話して居ることで又おかげを頂くのです。
 教えと云うものはそう云うものです。そしてお話頂き終る頃に末永先生が下りて来ました。私が座って頂きよるけんびっくりしたごたる風で、けれどもね、それから御祈念をさして頂いて御祈念を終らして頂きましたら、この真っ黒い中に何人もの人が御参拝があっとるんです。
 誰方じゃろうかと思うて御結界に就きました。そしたら日田の梅山さんがお子さんが東京の大学に行っとります。その方達が親兄弟それから自分のお友達と四名、それから他にも二、三人お参りがあっているのです。それも特別のお伺い事があると言うて、お参りをして来て居るのです。それが私が御祈念をしとるもんだから、御祈念を待ってお届けされた訳です。
 本当に私は梅山さんの息子さんにあんたが今度の冬休みには帰らんて云うたげなけんで、お母さんがそれこそ切なる思いでどうでん帰るごとと云うてお願いしてあったげなが、やっぱり親の祈りに引き寄せられたっちゃろうねと。 はあ、今夜帰って来ましたから一寸お礼に出て来ましたと云うのです。そして自分が一緒に大学でやっぱり日田の方から大学に行っとられますお友達を連れて参って来ているのです。
 と云うのはお父さんがこの頃亡くなられたのです。それでその学校を中途で止めなければならない。それで先生のお話でも頂いたならと云うて、一緒に連れて参って来ているのです。で、暫く私が高等小学校で受験の前丁度父が筑後軌道に勤めて居ったのが解散になりましたから、丁度私が卒業の年に終ったんです。それで特別の収入の道をそれで断たれたんですから、上の学校へ行くことを止めて、そして酒屋の小僧に行った。その話をさせて頂いた。
 もし私が師範校へ行ってそして小学校の先生にでもなったに致しましてもです、まあ云うなら校長さん止まりだっただろう。けれどもね、そのことのおかげで今日合楽でこれだけ沢山の人が助かる様になったんだと云う話をね。また私その人の事で色々とお知らせを頂いたんです。
 ですから、初めての事ですから分かるまいと思いますけれども、その事は申しませんでしたけれども、今の話だけしました。その方の事をお取次しよりましたらね、払うと云うこと、はらうと云う字になりゃしませんかね、手偏にムと書くと、これはもう大変な意味のことなんです。お父さんが亡くなられた。けれどもね、これは或意味でこの才と云うのは打つと云うことですね。叩いても分からせようとなさる。叩いてでも本当なことを、云うならば難儀を払うて次のおかげを下さる事の為の天地の親神様の深い御神慮だと云うことですけれども、そういう事云うても父を亡くして居る悲しさの人には分かる筈はありませんから、私だけの気持ちでまあ私の体験を聞いて貰うた訳でした。
 だから信心しなさいとお父さんの後を・・・・何か建具屋かなんかなさって居るそうです。だからまあ本気で信心させて頂いて事のおかげであの時は中途でまことに残念だったけれども、かえってあれがこう云うおかげになったと云う様なおかげを頂かにゃいけませんねと、云うわけでしたけれどもね。そういう人生の一つの岐路に立っておると行った様な人が昨日お参りして来て居るのです。
 思い方を変えればおかげになる。思い方を変えればがっかりすると云う様なのを梅山さんが一緒にお導きしてお参りして来とりました。そして暫くしましたら、熊本からまた松村さん達夫婦がお参りして来る。
 昨日やっぱり早う十時頃から出て来なければならなかったと云う、まあ感じが致しましていつもの様な時間になりました。
 けれども、余談になりましたけれどもです、本当に教えを頂くことは、神の教えも聞かんなら知らんのと同じ事。聞いて守らんなら真実の道を聞いて守らんなら、それを真実の道を歩かんなら真実の道を聞いても同じですから真実のおかげが頂かれる筈がありません。 云うなら信心の無い人達に対する信心の道も何も分からない人達に対するこれはみ教えであろうと思いますけれども、信心を頂いとりましてもです、教えを頂かぬ人の哀れさであり、真実の道も知らんで、真実のいやおかげは人一倍頂きたいと云う願いを持ち乍らです、それこそもう救われ難き人は仕方が無い。折角こんな有難い信心を頂き乍らそれを聞こうとも守ろうともしない。しかも惜しいことである。サア今から本当におかげの頂ける話が始まるぞと云う時に、バラバラ帰って仕舞うなんてもういよいよ哀れだと思いました事を今日の御神訓の中から頂きました。 
 皆さんはこうやって毎朝神の教えを頂いとられる訳です。ですから、その教えを私共がやはり本気で守らなければ真実の道に出ることはできません。真実の道に出るから真実のおかげの展開となって来るのです。 
 信心頂いとっても、何十年頂いとってもです、教えが身に付かん。もうそれこそ本当に哀れです。私共はそういう信心になって終ってはならんと思いますですね。 どうぞ。